令和6年度が始まった4月の初旬、愛媛電友会事務局に見覚えのない名字の方からお手紙が届きました。差出人は今治市在住の梅垣智子さん、西条市在住の電友会会員「大澤宏」さんの娘さんからでした。
内容は、松山市の北梅本社宅に住んでいた、当時小学校3年生だったある日のこと。社宅内のブランコで遊んでいた際、小さな女の子とぶつかり、女の子は泣きながら走って行ってしまったことが、頭から離れなくなってしまい、40年経った今、もしお会いできるならなんとか謝りたいのだが、何か手がかりになるようなものが無いでしょうか・・・との相談でした。
40年前、今は存在しない北梅本社宅、その当時の住人(社員)を探すなど・・・まるで雲を手で掴むような相談内容から、到底無理と通常お断りする内容でしたが、差出人の梅垣智子さんの切実なる思いで埋められたお手紙に絆され、一つの提案として、電友会会報に会員「大澤 宏」さんの記事として掲載し、何かの糸口(情報)を待つというのはどうでしょうと。のどに40年間刺さったままの小骨がなんとか取れますように!!
その提案の結果が以下の「尋ね人」になります。
なにか、思い当たることがありましたら、愛媛電友会事務局へお知らせください。
なお、本記事は7月号会報に掲載する予定です。
「尋ね人」 大澤 宏(西条市 H5年退職)
私は八十六才になりました。随分遠くに来たものだと思っています。介護施設・病院等でお世話になっていた妻も今年の二月に他界しました。
歳なりには元気だと思いますが、難聴が進み補聴器を使っても会話が聴き取りづらい事もあります。長女が私達へのサポートのため、一年余り前に近くの市に移住してくれて、心強くもあり助かっています。
その長女に悩み事があり、次の通りです。
松山市の北梅本住宅に住んでいた当時(昭和五十七年頃)、小学校三年生であった長女が、社宅の敷地内にあるブランコを勢いよくこいで遊んでいたところ、後ろでゴツンと大きな音がしたので慌ててブランコを降り周りをみると、少し離れた所に立っていた五才位の女の子が泣きながら行ってしまいました。
その時に追いかけて行き、ご家族に事情を話していれば良かったのですが、出来なかったようです。また、この出来事を母親に話したところ、「きっと、その子は大丈夫よ。」との話で終わり、その後も何かあったという話は聴いていないとの事でした。
長女はその出来事が心に残り、時々思い出しては「大丈夫だったかなぁ」と心配していたとの事です。二月に母を亡くしたことも影響しているのか、「今後、後悔しないよう、出来るならその女の子(四十代後半になられていると思います)に会って謝りたい。」という悩みです。
長女が電友会の担当者に相談し、親切に対応していただき、私が投稿することに致しました。
四十余年前の事でもあり難しい事ではありますが、もしこの出来事について何か心当たりのある方がいらっしゃいましたら、誠に勝手な依頼ですが、当方まで御一報くださいますようお願い申し上げます。
連絡先 大澤 宏 電話 0898‐66‐3629